swallowletterの日記

雑多な備忘録

人づきあいに思うこと

人から相談を受けることが多い。知ってる人も知らない人も。知らない人というのはSNSなんかで会ったことのないひと。だけれども、ダイレクトメール機能というので来る。

 

いつも思うのは、女性たちは結構闘っていて、でもその闘いに疲れても吐き出す場所がないのだな、ということ。これは自分も含めて、なのだけど。頑張ってしまう、それが女性の強さでもあり、そこまで頑張らなくてもなんとかなってしまう(結果論だけど)ということが無意識下でわかっていても、女性は頑張る、特にお母さんたちは。

 

私の周りには母であり、妻であり、女性である人が多い。そういう人たちのはけ口って、本当にないのだなと、いつも感じる。特に年齢を重ねると。

 

それはきっと女性のステージが年齢とともに違ってくるからだろう。

 

結婚しているけど子どもがいない

結婚して子どもがいる

結婚していても家庭や家族がうまく機能してない

結婚していない、彼氏もいない

そもそも結婚や家族に興味がない

 

などなどいろんなパターンに分れる。もちろん男性もそうなのかもしれないが、男性から相談されることはリアルな友だち以外ないので、ここでは省く。

 

まず、私個人の経歴でいうといわゆるバツイチで子なしである。

 

ゆえに、子どもの相談はうまく答えられない、だからといって聞かないわけでも乗らないわけでもない。胸に抱えた苦しみはやっぱり、言うだけでもすっきりしたり、話しながら自分の気持ちが見えたりするものだ。だから、「話を聞いてくれてありがとう」と言われるだけで十分だったかな、と思える。うまく答える必要なんてそもそもなかったのかもとも思う。

 

女友だちのむつかしいところは、自分と同じステージであってもなかなかその胸のうちを吐き出せないことだ。さらにそこに、ステージの違いが重なるとますます話ずらいということになるのである。

 

これは一般的にみてほぼ間違いない気がする。あくまで主観であるけれど。

 

実は私は本来は人づきあいが苦手で、どちらかといえば、うまくない。数多くの友だちを失ってきたし、傷つけ傷つけられてきた。そして傷つけあったこともある。まあこれはみな経験があるのかもしれないが。

 

そういう中で人との距離感の図り方を試行錯誤してきた人生だったともいえる。近づきすぎても不具合だし、遠すぎてもだめで、人によっても違うので、相手をしっかり見つめる、まずこれが本当に大切。そして、自分が無理をして相談に乗るのもだめ。その場しのぎにしかならず、結果、相手を嫌な気持ちにさせることもあるからだ。

 

ではどうするか、やはり、自分がどうしたいのか、その相手にどこまでしたいのか、してあげたいのかだろうと思う。それが「してあげてる」や「してあげたのに」になっては駄目だ。いずれ文句がでるからだ。本当に心からこうしてあげたい、それをする。そして言葉にする、今のところ私はそんな感じでやっている。

 

人生も四十年を過ぎてそれでもまだまだまだ、日々、わからない、できないことだらけで、自分にがっかりすることも多い。

 

だけれども、こんな私でも「聞いてください」と言われたら、少なからず応えていきたいと思っている。それは、わたしに子どもがいないからだ。子どもがいない分の時間を、困っていたり迷っている人に使いたい、そういうことを偽善とも思われるかもしれない、まあ、思われても一向に構わない。だって、全く偽善ではないなんて言えないのだし、そういうことは外側から見てるひとが判断することだからだ。

 

ただ、最低限でいいから、人に対して思いやりを持っていたい。それは小さな、どうでもいいこと、例えば、駅で困っている人に声をかけたり、道を教えたり、なんでもいいから。

 

いい人になりたいのではなくて、いい人でありたいと願うことは悪いことだろうか?そう自問しながら、人づきあいをしている。もっと大きくて、あたたかい人であったらなあ、という自己反省もあるのだと自覚しているし、わがままばっかり言いたいときだってある。

 

いろんな矛盾を抱えての、自分。そしてそういう自分の人づきあい。答えは自分で探していくのだろう、一生をかけて。